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報道キャスターへ
谷中麻里衣

2011ミス日本グランプリ

INTERVIEW06

INTERVIEW

谷中 麻里衣(やなか まりえ)

2011ミス日本グランプリ。1990年8月30日生まれ。

報道・経済キャスター。

慶應義塾大学在学中の2011年にミス日本グランプリ受賞。

同年、日テレ「シューイチ」・TBS「ビジネスクリック」にレギュラー出演。

「日経CNBC」を経て英語キャスターへ転身し、現在は「NHK World」に出演中。

遠くの出来事が自分事に!報道キャスターを志す原点

麻里衣さんは、報道番組で活躍されています。なぜアナウンサーを目指すようになったのでしょうか?

2001年9月11日に同時多発テロが起きた時、父がニューヨーク勤務で、私は隣のニュージャージー州にいました。アメリカへ引っ越した当初、父の職場はテロ現場となったワールドトレードセンター内にあり、その後、近隣のビルに移っていたのですが、私はそのことを知りませんでした。小学生だった私は、当時ニュースの重要性を理解しておらず、報道番組は両親が見る「つまらない番組」という認識でした。しかし、家族が事件に巻き込まれたかもしれないと知った瞬間、報道番組は遠くで起きている出来事を、正確かつ迅速に知るための唯一の手段へと一変しました。幸い、父はその日、別の場所にいて無事でしたが、番組内でキャスターが発した一言一言で、私の気持ちが大きく揺れ動いた記憶は鮮明に残りました。この出来事をきっかけに、私は真剣にニュースを見るようになり、いつしか報道に携わりたいと思うようになりました。

NHK国際放送で、経済ニュースのキャスターを長く務めていらっしゃいますが、どのような経緯で夢を実現したのでしょうか?

ミス日本の任期中に2本のレギュラー番組が決まり、テレビのお仕事を本格的に始めました。お天気キャスターやアカデミー賞の現地リポーターなどを経て、現在は経済を中心にニュースを担当しています。道が開けるきっかけがあるとすれば、「やりたいことを言葉にすること」だと思います。グラビアやバラエティなど華やかなオファーをいただいてもお断りし、「報道志望です」と言い続けた結果、大学在学中に経済番組に出演する機会をいただけました。また、アートコーナーのリポーターを務めていた際、報道ネタを取材したいと、自ら提案書を書き番組の方々にご相談しました。その結果、企画立案から取材、原稿執筆、番組出演まで、一貫して携わらせていただけるようになりました。

社会の仕組みがわかる!経済ニュースの魅力

経済番組を選んだのは、なぜでしょうか?

当初は経済に強いこだわりがあったわけではなく、最初に機会をいただけたのが経済番組でした。いざ触れてみると、経済を通して世の中の仕組みが見えてくることがとても面白く、次第に引き込まれていきました。放送までの限られた時間の中で、その日その瞬間に株式市場で起きている動きを原稿にまとめるのはとても難しく、エコノミスト配信のレポートを読み込んだり、新聞を何種類も読んだり、とにかく必死でした。自分で理解するだけでも大変な内容を、視聴者にわかりやすく伝えることは本当に難しくて。上司に、赤ペン先生のように何度も原稿を直していただきました。根気強く指導してくださったことに、今もとても感謝しています。

印象に残っているお仕事を教えてください。

日銀の元理事や著名エコノミストの方々にインタビューさせていただける機会は刺激的で、毎日が印象に残ると言っても過言ではありません。経済ニュースは難しいと思われがちですが、数字の背景にある社会状況や意思決定を丁寧に伝えることで、ぐっと親しみやすくなる。この学びは常に意識しています。アメリカ中間選挙を取材するため各地を飛び回った際には、子供の頃に私が住んでいた時代とは大きく様変わりしたアメリカの姿を目の当たりにしました。現地で人々の声を聞き、社会の変化を肌で感じることの重要性をあらためて実感した取材でした。中でも象徴的だったのが、ルマン24時間レースの現場取材を数年にわたって担当したことでした。トヨタがものづくりへの誇りを胸に、過酷なレースに挑み続ける姿を継続して取材する中で、大企業の成果の裏にある人の努力や現場の文化に触れることができました。レース当日は事前・事後取材を含めると長丁場でしたが、取材を続けてきたチームが世界の舞台で表彰台に立った瞬間は、言葉にならないほどの感動がありました。とはいえ、話すことが仕事なので、何とか言葉を尽くしました(笑)。一方で、大失敗として印象に残っているのは、生放送でトム・クルーズさんにインタビューしたときです。直後に日本語で内容を伝えるはずが、スターのオーラに圧倒され、頭が真っ白になってしまって。この経験以来、どんな場面でも「自分の果たすべき役割は何か」を強く意識するようになりました。

一流から直接学ぶ贅沢!「学びの場」としてのミス日本

ミス日本受賞をきっかけにキャリアが始まったとのことですが、麻里衣さんはなぜミス日本コンテストに応募しようと思ったのでしょうか?

当時は大学に通いながら、アナウンサーのマネジメント事務所のセント・フォースに所属していました。マネージャーの方からミスコンテストへの応募を勧められ、いくつかのコンテストを検討しましたが、最終的にミス日本コンテストへの応募を決めました。決め手となったのは、ファイナリストに選ばれると参加できる勉強会(*1)です。外見だけでなく、社会について学ぶ機会が用意されている点に大きな魅力を感じました。

*1 勉強会
ファイナリストが受講できる数カ月間の特別プログラム。
ミス日本が重視する3つの美(内面の美、外見の美、行動の美)を伸ばすことを目的としており、コンテストだけでなく、生涯に渡って役に立つ知識や感性を身につけることができる。
日本舞踊や茶道、華道といった伝統文化を経験するものや、日本画や浮世絵、現代アートについて習うもの、ウォーキングやスピーチの技術を身につけるものまで多岐にわたる。30項目にも及ぶ勉強会では、それぞれの分野のトップランナーが講師を担う。

勉強会に参加してみていかがでしたか?

ラインナップが豊富でした!外交、伝統芸能、メイク、空手、コーチングなど、それまで触れる機会のなかった分野について、日本の政治や文化を担う第一人者の方々から直接ご指導いただける、またとない贅沢な機会でした。ウォーキングの講師は、元宝塚歌劇団の鳳蘭さんで、圧倒的なエネルギーとオーラに強い刺激を受けました。また、着物を着て能のご当主から学んだ所作は、今でも和服を着る度に意識しています。とにかくすべてを吸収したくて、すべての勉強会に参加しました!海外に住んでいた経験から、日本人としてのアイデンティティは元々強かったのですが、日本の文化や歴史を体感することで、母国への想いがより一層深まりました。

極意発見!自然体で受賞したグランプリ

すべての勉強会に参加したからこそ得られたことはありましたか?

他のファイナリストが素敵な方ばかりで、同じ舞台に立つことへの不安がありましたが、「すべての勉強会に参加したから大丈夫」と自分を鼓舞することができ、自信につながりました。とはいえ、大勢の前で話すことは初めてで、本番はやはりとても緊張して。午前の審査では緊張のあまり、思うように対応できませんでした。ただ、結果的にはそれが良い方向に作用しました。「これ以上失敗することはない」と気持ちが切り替わり、午後の審査では気負わず、自然体で臨めました。

本選で自然体だったからこそできたことはありましたか?

質疑応答で、「宝くじで1000万円当たったらどうするか」という質問をとてもよく覚えています。私の前に答えた方々が次々と「寄付をします」と答えていたのですが、理由や寄付先が曖昧で。私も緊張していたら前の方の真似をしていたかもしれませんが、内心「本当かな?」とツッコミを入れる余裕がありました。そのおかげで、自分ならどうするかを落ち着いて考えることができたのだと思います。「寄付をするにしてもたまたま手に入ったお金で偉ぶりたくないし、周りの人に使うにしてもお金を軸にした人間関係は築きたくない」と思い、「とりあえず秘密にします」と答えたところ、どっと笑いが起きました。その後で理由をちゃんと説明しましたが、どう答えればその場の空気をつかめるかという感覚は、頭が真っ白な状態ではできなかったと思います。本番までは準備を重ねて最善を尽くすけれど、本番では肩の力を抜く。ミス日本の本選(*2)で思いがけず触れた「極意」だった気がします。こうした姿勢の方が放送や司会のお仕事も上手くいくのですが、わかっていても緊張してしまうことは今でもあります(笑)。

*2 本選(ミス日本コンテスト大会)
毎年1月下旬に開催されるミス日本コンテスト大会のこと。
ファイナリストは、前年7月中旬までに応募し、夏の地区大会、秋の勉強会を経て、この本選に臨む。
着物・ドレス・スポーツウェアでの質疑応答が行われ、ミス日本グランプリ、ミス日本ミス着物、準ミス日本など計6賞が選出される。
受賞者は、「ミス日本」として1年間、公的活動を中心とした出演や学習の機会を得て、社会貢献活動に取り組む。

想定外のスタート!ミス日本としての活動

ミス日本グランプリを受賞して、どのような活動をされましたか?

2011年は、例年のミス日本とは活動の内容が大きく異なる年でした。ミス日本を受賞した2ヶ月後に東日本大震災が発生したためです。3月11日当日は、神宮球場で始球式を行っていました。球場の外に出ると、割れたガラスが散乱し、電車は止まり、道路は大渋滞。混乱する都内を歩いて帰る中で、若者が高齢の方にバスの順番を譲っている姿を目にし、日本社会に根付いている助け合いの精神に触れました。多くの予定されていた活動が中止になった中で、私も何か自分に出来ることをしたいと考え、ボランティア活動についてミス日本協会に相談しました。自衛隊災害救助部隊への慰労訪問や、国内外で募金活動など、様々な機会をいただきました。

今度こそ臆せずに!ミス日本を通して学んだこと

印象に残っているミス日本の活動を教えてください。

ミス日本協会は、受賞者一人一人の思いや特色を尊重し活動を支えてくださるので、英語学習に関する雑誌の表紙とインタビューを組んでくださりました。また、毎年恒例の活動として、年末には宝くじの立会人、年始には「初日の出・初富士フライト」の案内人を務めました。両方とも振袖を着ての活動でしたが、元旦には早朝に離陸して空の上から富士山のご来光を見るために、夜中から着付けが始まり、体力勝負のお仕事でした!新年の抱負を胸に、初日の出を拝む。日本文化の良さを実感した1年の始まりでした。

マラソン大会やプロ野球のキャンプイベントにゲストとして出演する機会は、私自身がスポーツに興味を持つきっかけにもなりました。また、国を代表するかのような身の引き締まるようなお仕事も数多く経験しました。観光庁の「VISIT JAPAN」キャンペーンのアンバサダーとしてイベントや公式ホームページに出演した他、日中両国の政府による文化交流事業に代表団の一員として中国を訪問したこともあります。現地では学生から要人まで、たくさんの方々と交流する貴重な経験をさせていただきました。実際に言葉を交わすことで相互理解が深まっていくことを体感しました。

一方で、一つだけ後悔していることがあります。大学で茶道サークルに所属していることが報道され、「裏千家の会合でお点前を披露しませんか」とお声がけいただいたのに、お断りしてしまったことです。「始めたばかりの未熟なお手前を披露するのは恐れ多い」と怖気付いてしまったのですが、考えてみれば、資格のない大学生であることをご承知のうえでのお話でした。「改善点を教えてください」と前向きな気持ちで伺えば良かったと今では思っています。もともと「何事にも積極的に」という姿勢を大切にしてきたのに、ミス日本として立つ舞台が大きくなったことで、その軸を貫けませんでした。次に大きなチャンスが巡ってきた時は、今度こそ臆せず掴みにいきたいです!

健康を大切に!新しい挑戦

今、挑戦されていることはありますか?

ここ数年で2児の母になり、今一番の新しい挑戦は子育てです。これまでニュースでよく「キャリアとの両立」という言葉を耳にしてきましたが、実際に経験してみると想像以上に大変で!日々、試行錯誤の連続です。出産で体調を大きく崩したこともあり、今はこれまで以上に健康を意識した生活を心がけています。

健康であるために何をされていますか?

よく笑い、よく寝ることです。たまに寝坊して子供に起こしに来られることもあり、世間が思い描く理想の母親とはほど遠いのかもしれません。ですが最近、娘に「Mama is always happy」と言われ、「あ、私、いいお母さんかもしれない」と満足しています(笑)。実は、健康の大切さを初めて体系的に教えていただいたのは、ミス日本の勉強会でした。それまでは「痩せているのがいい」と漠然と誤ったイメージを持っていたのですが、バランスよく食べて、身体を動かすノウハウを学びました。そうした積み重ねの先に、よく笑い、よく眠ることが何よりの健康法だと実感しています。

成長は環境がすべて!ミス日本のすすめ

最後に、ミス日本を受けたいと思っている女性へのメッセージをお願いします。

成長は、良い環境に身を置いてこそ生まれるものだと思います。これまで私自身、尊敬できる素敵な人たちに囲まれている中で、多くのことを学ぶことができました。ミス日本もまさにそうした環境の一つです。先輩方も、同期も、後輩も、社会をよくしたいと考え、実際に行動している方々ばかりです。内面も外面も美しい仲間に出会える場だと感じています。私はミス日本で出会った友人と旅行をしたり、結婚式に来てもらったり、受賞から15年近く経っても大好きな友人がたくさんいます。「成長したい」「視野を広げたい」と思っている方にとって、必ず大きな刺激と学びが得られるはずです。ぜひ、挑戦してください!

インタビュアーから一言
2025ミス日本グランプリ 石川満里奈(いしかわまりな)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回お話を伺い、麻里衣さんは常に今に全力を尽くしつつ、その先にある未来をも見据えていらっしゃると強く感じました。ファイナリスト時代のエピソードからは、自ら進んで役割を探す積極性や、自己探求の先にある学びの楽しさを教えていただきました。
特に印象的だったのは、お仕事と育児を両立されている谷中さんが、お子様について語られた瞬間です。その際の表情は、とてもあたたかく、とても素敵でした。
可能性を限定せず、新しい世界へ挑戦し続けるそのお姿は、まさにミス日本が掲げる「美しさ」の象徴そのものでした。変わり続けることの美しさを教えていただいた貴重なひとときでした。ありがとうございました!(2025年12月)


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