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東大生のグランプリ
和田淑子

1998ミスグランプリ

INTERVIEW04

INTERVIEW

和田 淑子(わだ よしこ)

1998ミス日本グランプリ。

東京大学在学中にミス日本を受賞し、その後、大手銀行総合職に。

第二子妊娠を機に専業主婦になった後、証券業界に復職。

日本証券業協会にてSDGs推進室長・普及推進部上席次長を歴任し、現在は公社債・金融商品部部長。

ミス日本OG組織「やまとなでしこ会」副代表・ミス日本コンテスト審査員なども務めた。

違う世界を見たい!東大生の秘密の挑戦「ミス日本」

淑子さんは現役東大生の時にミス日本を受賞しました。応募前はどのような日々で、なぜ出場を決められましたか?

大学生4年生になり、ちょうど就職活動を終えて金融業界に就職することが決まっている時でした。金融業界も私の所属していた理学部も、当時はまだ女性が少なく男性社会だったので、女性ばかりの華やかな世界を見てみたい、普通では得られない経験ができるのではと思って挑戦を決めました。大学に行って授業を受けて、友人とランチをして、家庭教師のアルバイトをしてと、単調な日々を送っていたので、生活を変えたいという気持ちがあったのかもしれません。

受賞後、多くのメディアに「才色兼備」と取り上げられましたが、周囲の反応はどうでしたか?

実は、両親を含め周りの誰にも出場することを伝えていなかったので、びっくりしたようです。進学を機に福岡にある実家を出て東京で一人暮らしをしていたので、ミス日本ファイナリストとして勉強会(注釈1)に出席していても両親に気が付かれない環境でした。こっそり出場していたのに、受賞の瞬間をたくさんのテレビ番組が取り上げてくださったので、私の口から両親に伝える前に知られていました。テレビを見た両親の友人から「淑子ちゃんすごいわね!おめでとう」と電話があり、とても驚いたようです。両親は保守的なので、最初に「就職が決まっているけれどどうするの?」と確認され、変わらず金融業界で働く予定だと言うと安堵していました。

注釈1:勉強会
ファイナリストが受講できる数ヶ月間の特別教育プログラム。
ミス日本が重視する3つの美(内面の美、外見の美、行動の美)を伸ばす。
能や茶道、華道といった伝統文化を経験するものや、日本画や浮世絵、現代アートについて習うもの、ウォーキングやスピーチの技術を身につけるものまで多岐にわたり、それぞれの分野のトップランナーが講師を担う。

国際交流に国民的番組!ミス日本の刺激的な日々

受賞後はどのような日々でしたか?

事務局の先生方には、学業、そして就職後は仕事との両立に配慮していただき、ミス日本の活動は土日を中心に行いました。例えば、就職してすぐの5月に韓国の写真撮影会に参加するお仕事があったのですが、金曜夜遅くに仕事を終えて土曜日の朝一番の飛行機に乗って、日曜日の最終で帰国し、翌朝出勤するというなかなかハードなスケジュールでした。韓国では言葉こそ通じなかったけれど、温かく迎えていただき、さらには色々な場所に連れて行っていただき、とても良い思い出です。いただいたキムチが美味しいと喜んでいたら、お土産に大量にご用意して下さって。国家間での関係は色々とありますが、個人的に関わると優しい方ばかりで、こういった交流の機会の大切さを感じました。

特に印象に残っているミス日本の活動はありますか?

お年玉年賀状の当選番号の抽選者として会に参加させていただいたことです。小さい頃から、「どうやって当選番号を選んでいるんだろう」と思っていたので、その抽選プロセスに参加させていただけて感無量でした。野球選手の方々や日頃テレビでお見かけする方々と一緒に、番号に向けて弓のようなものを投じる経験は楽しかったです!

ミス日本になって驚いたことはありますか?

ミスになるような方はお淑やかで私生活も華やかな方ばかりで女性特有のマウントのようなものがあるのではと思い込んでいましたが、1年間共に活動した同期やOGの方々も男勝りな方が多く良い意味で普通の感覚の方ばかりだったことは意外でした。また、私自身は何も変わっていないのに「ミス日本」のタスキをかけるだけで、周りの方の見る目や対応が豹変することにも衝撃を受けました。

キャリアウーマンから専業主婦、そして両立へ!金融業界にて

ミス日本としての任期中に大手銀行に就職されました。なぜ金融業界を選んだのでしょうか?

色々な経験をしたいという思いがあったので、誰しも必要なお金を扱う金融業でなら多種多様な分野と接することができて世界が広がると期待してのことでした。銀行に入って企業への融資を6年ほど担当しました。その間に結婚・出産をし、2人目の妊娠を機に両立に限界を感じ専業主婦になりました。

淑子さんのようなスーパーウーマンでも限界とは!どのような状況でしたか?

当時は子供がいて総合職で働く女性が少なかったので、会社の制度自体はある程度整備されていましたが、その制度を利用できる風土はなかったように思います。子供が体調不良で会社を休まざるを得ないときは、いつも「職場の方に迷惑をかけてしまっている」と罪悪感で一杯でした。仕事も中途半端になってしまっている自覚もあり、こんな小さい子を預けて私が仕事をする意義はなんだろうと考えることも多く辛くなってしまって。当初は育児と仕事の両立も「何とかなるだろう」と安易に考えていましたが、女性として働くことの難しさを痛感しました。

子育てに専念する日々はそれまでとどのように違いましたか?

子供が生まれるまでの人生は、私自身が努力すれば何とかなっていた面がありましたが、子育ては違いました。子供は当然親の思う通りには育ってくれず、私が努力しても上手くいかないことばかりで。この時期が人生で最も他人に謝ってばかりの時期でした。

どのようなきっかけで復職することになったのでしょうか?

7年ほど専業主婦をしたあと、35歳くらいの頃に、前職でお世話になっていた方から「子育てが落ち着いたなら働かないか」とお声がけいただき、日本証券業協会という証券会社の規制団体に入りました。投資家保護の観点から証券市場の透明性向上・健全な成長のための自主規制のルール作りをしているところです。また、証券市場の活性化に向けて、政策提言や一般の方々の金融リテラシー向上に資するよう金融・経済教育の普及といった取り組みも行っています。

自分の資産は自分で守る!金融リテラシー向上に向けて

金融リテラシー向上のためにどのような取り組みをされていましたか?

セミナー等を開いて、例えば「長期積立分散投資がいいよ」「投資と投機は違うよ」「NISAとは」といった投資のイロハや投資の意義についての話をしています。低金利の日本においては、銀行に預金を預けても利子はつきません。一方で、最近は物価が高くなっているので、実質的には資産が目減りしている状況です。今年は円安も進んでおり、資産が円建てだとさらに減っているはずです。個人それぞれが「自分の資産は自分で守る」という気持ちで投資できる環境整備をしなければいけないと考えています。投資詐欺から自身を守るためにも、金融リテラシーを高めることは大切です。

これから資産運用を始める方にはどのようなアドバイスをしますか?

必要最低限の基礎知識を身に着けることが大前提となりますが、ご自身で相対的にリスクの少ない金融商品を余裕資金の範囲内で買ってみるといいかもしれません。経済動向も含め社会情勢にアンテナを高くし勉強せざるを得ない環境になるので。何事も経験することが大切だと考えています。

本業で社会貢献!金融業界のSDGs

ミス日本ファイナリスト向け勉強会を担当してくださったときのテーマも『金融リテラシーで生活向上を!』でした。その中で投資によりSDGsに貢献できることをお話しされていました。日本証券業協会SDGs推進室長をされていた時のお話も伺いたいです。

SDGsは今でこそ持続可能でより良い世界を目指す17の国際目標として有名ですが、私たち証券業界が取り組み始めた当初はそれほどでもありませんでした。企業が個々の利益だけを求めるのではなく、社会全体のことを考えることが大切であり、結果的には証券業界の持続可能な成長にも繋がるとの当時の会長の考えにより、日本証券業協会では2017年から業界として積極的に取り組んでいます。具体的な取組みの三本柱として、SDGsを推進する企業にお金が回るような商品を訴求すること、証券業界の女性活躍を推進すること、子供の貧困問題解決に取り組むことを掲げています。

一点ずつ伺っていければと思います。まず、SDGsを推進する企業にお金が回るような商品を訴求するとのことでしたが、具体的にどのような金融商品でしょうか?

例えば企業の財務情報だけでなく環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)に配慮しているかを考慮して行うESG投資や、環境改善効果のあるグリーンなプロジェクトに要する資金を調達するために発行するグリーンボンドなどがあります。SDGsの目標達成に向け頑張っている企業等が資金調達できるように、まさに証券の本業で貢献できればという考えのもと活動していました。また、証券会社自体もそういう商品を組成・販売しやすくなるような環境整備や業界作りに取り組んでいます。

ロールモデルを!女性の活躍推進

続いて、女性活躍の推進についてです。証券業で働く女性は何を求めているのでしょうか?

これは証券業に限らないかもしれませんが、身近にロールモデルがいないので、家庭との両立の仕方や、女性が上を目指すためのキャリアパスがイメージしづらいという悩みはよく耳にします。確かに1つの会社だとロールモデルが少ないかもしれないので、業界全体で女性が繋がりを持てるようにと「証券ウーマンズネットワーク」を作りました。半年に1回ペースで会合を開き、多様な働き方の共有、ロールモデルを見つけたりアドバイスをもらったりできる環境を作るため尽力していました。女性が働き続けるためには女性だけで解決できない問題も多いですし、男性にも女性が働きやすい環境に協力してもらえるよう、今は男性にも参加してもらっています。

淑子さんご自身の経験もいきそうなテーマですね。

はい、働く女性の悩みの多くは私も経験したことだったので、自分ごととして捉えることができました。それらを経験していない男性が同じ業務をやるよりも身近な視点で取り組むことができたと思うので、意義ある仕事ができたと感じています。

まずは日々の生活!子供の貧困問題に関する取り組み

最後の取り組みは子供の貧困問題についてとおっしゃっていましたが、こちらは証券業とは関連が薄く見えます。なぜSDGsの中からこちらにしたのでしょうか?

証券業界の内外問わず、証券界が子供の貧困問題に取組む意義を問われることは多かったですね。子供の貧困問題の放置によって格差がより深刻となり、日本経済・社会に悪影響を及ぼせば、証券市場が縮小する可能性があることから「未来への投資」と捉え、子供の貧困問題の解決に向けた支援を行うこととしました。また、機会の公正が不可欠である市場の関係者として、家庭環境により子どもの機会が奪われている状況は看過できないとも考えました。
更に我々が長年取り組んでいる金融リテラシーを一般の方々に身に着けてもらうには、日々の生活がままならない状態ではハードルが非常に高いのではという思いも根底にありました。国の将来を担う子供たちの生活状況を改善し、誰もが金融リテラシーを身に着けられる社会にしたいとの考えもあります。ただ子どもの支援といっても具体的に何をすれば良いかわからない方が大半だと思います。日本証券業協会として何ができるかブレインストーミングし、全国にある証券会社の店舗を活用することにしました。今は各店舗で古本募金をしており、その売上を子供の未来のために活用しています。参加している古本募金自体は内閣府の取り組みなのですが、相当程度の割合が証券界からの寄付と伺っています。
全国の証券会社の支店等において「こどものみらい古本募金」を実施 – 内閣府 (cao.go.jp)

確かに世の中を良くしたいけれど何をしていいかわからない人が大半だと思うので、誰でもすぐに取り組める提案は素敵ですね。

ありがとうございます。さらに、株主優待を活用した取り組みもしています。証券会社はかなりの数の株式を保有しているのですが、実はそれに付随してもらえる株主優待の贈り物を使い道に困っていました。というのも、職員の誰かがそれをもらう訳にもいかないので。なので、株主優待を提供可能な証券会社と子ども食堂のような子供支援を行っている団体とをマッチングしたりといった取り組みを始めました。

日本企業の資金調達に選択肢を!社債市場の整備中

続いて、今のお仕事について伺います。公社債・金融商品部の部長として、何をされていますか?

企業が資金を調達する主な方法は、銀行から融資を受ける間接金融か、株式や社債を発行して市場から直接調達するかになりますが、現状、日本企業の大半は銀行からの間接金融で資金を賄っており、起債という選択はほとんどとられていません。企業が資金調達する際の選択肢を増やすため、社債市場を発達させるべく制度整備を頑張っています。最近では社債をデジタル証券として発行しようという動きもあり、セキュリティトークンやNFTといった新しいジャンルの勉強をしています。海外にも先例がある訳ではない最新分野の検討事項もあって。取り扱っている証券会社の方おに話を聞いたり、研究所が出しているレポートを読んだりしているのですが、実態が見えにくいだけに難しくて理解が追いつくのに苦労しています。

転んでもタダでは起きない!面倒くさがりの成功術

お仕事において心掛けていることを教えてください。

仕事だけではなく人生においてですが、「転んでもタダでは起きない」をモットーに生きています。例えば個人的にはあまり興味のない講演会に仕事で行かなければならないとき、ただ聞いて帰ってでは時間が無駄になってしまいます。忙しい中でせっかく大切な時間を使っている訳だから何か成果を得ようと、会場でコネクションを作ったりと何か得られるものがないか探しています(笑。銀行で営業を担当していたときも、常にプランBやCもつようにし、第一目標が成功しなかった際の自分なりの落としどころをもって行動していました。一つ一つはとても些細なことですが積み上げていくことで大きな成果につながると考えています。
ただ、今申し上げた例だとあまり「転んでもタダでは起きない」感はないので、高校生のころのエピソードを。英検の2次試験とクラブ合宿初日が重なったことがありました。クラブ優先で英検の2次試験をあきらめる予定だったのですが、なんと当日寝坊してしまい、合宿先に向かう新幹線に乗り遅れてしまうといった大失態をしていました。そこでどうせ皆と一緒に合宿先に行けないし新幹線のキャンセル料を支払わねばならいないのであれば、と英検の2次試験を受験してから合宿先に向かいました。英検は無事合格しましたので、このころからこの精神は根付いていたように思います。

努力家ですね!

いいえ、かなり面倒くさがりです(笑)。だからこそ労力をかけたところは何かプラスにしたいのかもしれません。努力するならば全てを無駄にしないという精神です。ミス日本に出場した時も、出るからには記念に何か賞をと意気込んでいました。ただ、今は完璧を求めないことを学びました。仕事も家庭も手を抜く訳ではないけれど、気持ちの面で昔より少し気楽に構えている今の方が上手くいっている気がしています。

挫折もプラスへ!大学受験・就職活動からミス日本への道

人生すべてが完璧なように見えますが、挫折と言いますか、人生で大きく転んだことはありますか?

もちろん挫折は何度も経験しています。特に就職活動の際は色々悔しい思いをしました。大学進学までは女性であることを不利に感じたことはありませんでしたが、就職の場面では男性だったらこんな質問されないよね、といった今だとセクハラとも捉えかねない質問もされましたし、男女で同じ能力であれば男性を採用するといった傾向もあったように思います。実際、東大女性の枠みたいなものもあると面接を受けた企業の方に伺ったことも一度や二度ではありません。

その悔しさはどのように消化されましたか?

女性ということで差別を受けるのであれば、逆に女性を応援してくれるような場所はないか、また、これまでの価値観とは別の価値観で世界を見てみたいという思いもあってミス日本に挑戦したのかもしれません。あとは東大生でいられる時間もあと少し、東大生だったら審査員の目にとまりやすいかもしれないとも思ってしまいました(笑)。転んでもタダでは起きない精神です。

最後に、今後の目標を教えてください。

とにかく一日一日を後悔のないよう、丁寧に生活していきたいと思います。そういう意味では与えられたチャンスには積極的にチャレンジしていきたいと思います。長期的、人生としての目標は、壮大かつ漠然としすぎていますが、これからの若い世代の人たちが希望を持って生活できるような持続可能な社会作りに携わっていきたいと考えています。SDGsの精神が根付いていますかね(笑。今の仕事もそれに間接的に貢献できると思って頑張っています。

【インタビュアーから一言】
2011ミス日本グランプリ・ミス日本運営委員会委員 谷中麻里衣(やなかまりえ)
「最後まで読んでいただき、ありがとうございます。仕事もプライベートも充実されている淑子さんは私たちミス日本運営委員会の憧れです。今回インタビューさせていただき、その影に並々ならぬ努力と精神力があることを知り、良い刺激を受けました。高校進学のために一人で東京に移り住み、そのまま進学できるにも関わらず大学受験をし、就職活動で挫折しても他の道を見つけ、なおかつミス日本にも出場し・・・淑子さんの生き方から挑戦の大切さを窺い知ることができました。この記事は私たちの会話の一部抜粋ですが、皆様にも淑子さんの魅力が伝わっていれば嬉しいです!ミス日本コンテストは、女性の社会進出を応援しています!今後とも応援をどうぞよろしくお願いいたします。」
(2022年10月)


1998ミスグランプリ